2015年6月20日土曜日

終戦70周年記念の今年こそ、真剣に「平和」のあり方を考える時では??

まさか??は・・ありえないために
ーやるべきことは何か、ちゃんとやらにゃぁ~!!-
 
(ハワイ最新ニュース)第二次世界大戦後70年が経とうとしています。70年たった今、日本を取り巻く環境が変わっていることもあり、国会では安全関連法案に関する激しいやり取りが行われていますが、これを機会に、国民皆で「平和」について真剣に考える時になったのではないかと思います。
    
ここハワイは、常夏の楽園というイメージが強いけれど、戦争勃発の引き金が引かれたパールハーバー湾内に、今も沈んでいる戦艦アリゾナ号が、そして隣には戦争終結の降伏文書調印式が執り行われた戦艦ミズリーが、という具合で人々に「平和」を考えさせる場所となっています。

そしてまさに今、第二次世界大戦終戦70周年を記念したイベントが8月15日(土)に開かれることになりました。戦艦ミズリー号の横たわるフォード・アイランドで、長岡市の花火大会が夜8時頃から開催されるというものなのです。フォード・アイランドは一般の人は入れないが、周辺でバッチリ見られるって~!!当日軍の施設が解放されるかもしれないので、分かり次第お知らせします。

  
     写真:ホノルル・フェスティバルの時にワイキキビーチ沖で打ち上げられた長岡の花火

  
ホノルルで行われる長岡花火大会は毎年3月に開かれるホノルル・フェスティバルの最終日カラカウア・パレード終了後、夜8時半から打ち上げられ、口コミが口コミをよび、回を重ねるごとに多くの人がワイキキビーチに集まり楽しんでいます。

発端は、2012年3月2日長岡市とホノルル市が姉妹都市提携を結び花火大会を開催。

しかし評判がものすごく、アンコールの声があちこちからでたこともあるのでしょう、巨額の費用がかかるのに、それ以降毎年開催されています。

実は2011年のホノフェスに花火大会をやる予定だったんですが、あの時東日本大震災が起こり、翌2012年からのスタートとなったのです。

今回8月15日に打ち上げられる花火大会も、長岡市提供により、オアフ島に住んでいる方を対象に、20分にもわたり打ち上げられる超豪華なもので、パールシティー、アイエアなどを含めパールハーバー海岸エリアの至る所で鑑賞できるというのがすばらしい!

さて、威勢のよいこの長岡花火は、「平和」の願いがこめられた特別なものなのです。というのも・・・・

終戦をあと少しで迎える1945年8月1日長岡市に空襲があり、1480名の方々が犠牲になりました。

このため翌年から毎年8月2日と3日、慰霊と復興を祈る花火大会が開催されてきたのです。

このように長岡は花火を通して、「平和」について考えてきた町であるからこそ、パールハーバーへの思いも強い。花火を打ち上げて、戦争でなくなられた方々への鎮魂と平和への祈りを当地で捧げたいという思いが、ようやく実現することになり、本当にすばらしいことだと思います。

今回終戦70周年ということで、日本からの親友と一緒にアリゾナ・メモリアルを訪れました。
一般の観光客に混じり、館内でビデオを見ましたが、前に見たビデオとはずいぶん違っていていたのです。アメリカの立場、日本の立場をそれぞれ公平に紹介し、山本五十六を始め、我々がなかなか見ることのできない日米の当時の軍の様子も双方の立場からしっかり説明し、その上で多くの尊い人命が失われたこと、いかに戦争が無意味であり平和が大切であるかを語りかける映画になっていると感じました。

  
     写真:戦艦ミズリーを遠くにみて、今も沈んでいる戦艦アリゾナの記念館上から・・

高校からの親友と、お互いに平和について忌憚ない意見が出し合えたのは大きな収穫でしたが、アリゾナ記念館を訪れてみると、その悲惨さは70年経た今も胸に迫ります。

1941年12月7日(ホノルル時間)日本帝国海軍による真珠湾攻撃で、戦艦アリゾナは乗組員1177名中1102名死亡、ご遺体の多くは今も戦艦アリゾナの中で眠っていて、メモリアルの一番奥にある慰霊所の大壁に名前が刻まれています。

慰霊所の大壁の前の左右にある小さい壁にも、最近亡くなられた方々の名前が刻まれているのを見つけました。これは真珠湾攻撃で生存した乗組員で、海に眠る軍友と一緒にしてほしいと、死後アリゾナに遺灰を葬ることを希望した方とのこと・・。

  
   写真左:メモリアルの奥の慰霊所にある壁に刻まれた名前 写真右:メモリアルの7つずつある大窓

このメモリアルは沈没した戦艦アリゾナの甲板の上を横切るような形で作られていて、ビジターセンターの博物館に飾られている模型を見るとその状況がよくわかります。

記念館は真っ白な長方形で長さが56メートルほどあり、よく見ると両端が高く、真ん中が低くなっています。これは最初の攻撃によって受けたアメリカ人の心を表してたものだとか。

  
  写真左:戦艦ミズリーからみた記念館 写真右:戦艦アリゾナの上に建てられた記念館の模型

真珠湾攻撃による痛手に立ち直り勝利は得たが、戦争によって多くの犠牲を出した悲しみを表し、しかも左右両側と天井に7つずつある大きな窓は、真珠湾攻撃が行われた12月7日の「7」を示したとのこと。

記念館の中には、沈んでいるアリゾナの甲板を見渡せる四角い穴があり、昔はここにレイを捧げて海に投げ入れましたが、海洋生態系を考慮して、今では名前が刻まれた壁に供えられていました。

しかしここに、毎年花ではなく、「献酒」をされる方がいるのです。
形がひん曲がってしまった「黒焦げの水筒」を持参し、中の「バーボン」を海に捧げるのが菅野さんという方で、ここにも「平和」への強い祈りの物語があるのです。

長岡よりももう少し前の1945年6月、静岡市でも空襲があり、2千名の犠牲者がでました。この時、空中でB29同士が衝突し桑畑に墜落、米兵23名が死亡、その時一人の米兵がしっかりと握りしめたためか指跡が残った「黒焦げの水筒」が見つかりました。
   
 写真左:毎年行われる黒焦げの水筒セレモニー  写真右:菅野さんと米軍関係者によるバーボン献酒

桑畑の関係者であった伊藤さんは、私財を投じ犠牲者のため「平和観音像」を建立。それとともに「死んだら敵も味方もない」という信念で「B29墜落搭乗者慰霊碑」も建てました。

同じく菅野さんも私財を投じ、1972年から毎年戦災遺族と米軍関係者による日米合同慰霊祭を行ってきました。そんな菅野さんに転機が訪れます。

開戦50周年記念の1991年、真珠湾でのセレモニーに出て深く感銘をうけ、次年から戦艦アリゾナ記念館上で、この「黒焦げの水筒」の慰霊祭を行うことにしたのです。

彼のモットーは、
今日の平和の陰に両国の犠牲者がいることを忘れてはならない。」 

そして、このアリゾナ記念館のすぐそばにあるのが、戦艦ミズリー号で、ミズリーは現役を引退しても、この地で戦争終結の歴史を伝えて続けています。

終戦70周年記念日の8月15日、大空にあがる長岡の美しい花火を見ながら、我々は大きな代償をはらって得た「平和」について、しっかり考えていかなければと強く思います。


  
 写真左:降伏文書調印式が行われたミズリーの甲板  写真右:真珠湾にもっていく秘密兵器はこれ
  
なお、余談ですが、アリゾナ・メモリアル・ビジターセンター等にいく場合、お財布やカメラ以外の手荷物を預けなければなりませんのでご注意ください。でもこの写真のようなシースルーのバッグなら、預けなくてもチェックポイントをスルーできま~す。

姫庵より
 
 
 
 

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